大学の行動憲章

松原です。
 年度末で,いろいろな課題に追われています。しばらく更新が途絶えていた言い訳ですが,更新しないと,アクセスが目に見えて減少します。中には,ちょくちょくアクセスしていただいる方もあり,サーバーの名称?から,どこの大学・研究室からのアクセスかも,推測できる場合もあります。そんな常連の方のアクセスが減ると,なるほど,更新されていないとつまらないですよね,と我ながら思ってしまいます。
 さて,わが京都府立大学には,「行動憲章」(2008年10月22日)が制定されています。改組前の4学部から各1名の委員が選ばれて,久保委員長のもとに長期間の議論を重ねて制定されたものなので,研究室メンバーにも是非熟読してほしいと思っています(僕も委員を務めたので,思い入れがあります)。前文の末尾に『地域社会の発展と府民生活の向上、さらには人類の幸福に貢献します。』という文言がありますが,僕は,この「人類の幸福」という言葉が好きです。1995年の日本建築学会の第25回熱シンポジウム「エネルギーと快適性」において,「快適性評価の意義と限界」という題目で発表をしましたが,この講演の直後に,当時の重鎮だった先生から,「大演説でしたね。先生のは幸福論ですね。」と言われたことがあります。工学系の学会で「幸福論」と言われるのは,通常「あまり客観的でない」という批判的な意味が込められています。その先生も,そういう意味でおっしゃったのだと思いますが,僕自身は,「何が人類にとってよいことなのか」,という議論も研究の枠組みに含めるべきだと考えてきましたので,あまり悪い意味には受け取りませんでした。それから十数年後に,大学の行動憲章の制定に関与することができたことは,自分の「幸福」でもあったと思っています。先日の「ブータン大使の言葉」とも関連しますが,人間にとっての幸福というのは,どんなものなのか,を考えることなくして,望ましい住まいや暮らし,環境の研究はできないのではないか,と考えています。僕たちの研究分野は,とりわけ,「生活」の比重が大きいので,なおさらです。
 この1週間ほどのできごとの中で,『電力やエネルギーの使用を減らして生活が今より不便になっても,生命の危険を遠ざけたい。』,と考える人がかなり増えたのではないか,と推測していますが,これも,幸福論の延長だと考えています。
 また,憲章の研究の2に『人びとの知的好奇心から生活の向上、文化や産業の発展にいたるさまざまなニーズにこたえる研究を推進します。』という部分も重要だと思っています。『生活の向上』という言葉にも非常に重みがあり,何が「上」で何が「下」か,も重要な論点です。そういう問いかけに対して,自分の意見を展開できるように,院生・学生とともに学んで行きたい,と思います(憲章の精神です)。

京都府立大学行動憲章
http://www.kpu.ac.jp/contents_detail.php?co=ser&frmId=1910

 研究室の中にある愛着のあるものです。携帯スタンドよりもずっと前からあります。