研究指導の姿勢

松原です。
 ブログの論調にも波があると思います。「研究室メンバーにこのことを伝えたい」という気持ちが強いものと,「外部の人に日常を伝える」ことにとどまるものです。読み慣れている人には,すぐにわかると思いますが。Adds by Google,相変わらず表示されますね。誰か対策を教えて下さい。
 さて,先ほども院生の調査について,やりとりをしました。調査用紙の原案が提出されて,僕なりの修正意見を伝えるときに,たいていは「書き込みをしましたので,検討して下さい」と返信します。あるいは,考え方についての意見を述べて「そういう方向で,修正してみて下さい。」と伝える場合もあります。表題に「姿勢」と書いたのは,「修正しましたので,こうしなさい(議論の余地はない)」と返信する姿勢もあり得るからです。近年,痛感するのは,後者を期待する学生が増えたのかな,ということです。もちろん,これは,研究成果として,院生(学生)が筆頭著者として発表するテーマか否か,ということにも関連します。ここに書き込む理由は,「こうしなさい(議論の余地はない)」ということは少ない教員であることを発信しておきたいからです。
 僕の恩師の堀江悟郎先生(故人)は,研究の手法・方法は自分で勉強しなさい,という考えの方で,何か相談にいくと,こちらが考えているより,はるかに広い視野,高い見識から哲学的なお話を始められる方でした。僕自身は,堀江先生と比較できるようなレベルではなく,かなりスケールは小さいと思うのですが,哲学や理論を語りたい,という気持ちはどこか恩師に似ていると思います。70年代には都市気候の研究をしておられて,ヒートアイランドの形成の原因として人工廃熱の寄与が大きいことを明らかにされ,「それまで,気象学者は人間活動が気象現象に影響するなどとは考えていなかったんだよ」という主旨のことを話していただいたことがあります。
 その恩師のもう一つの印象的な言葉は,「院生は,独立した研究者です」というものです。他の先生方は,「M1の頃は,テーマをどうするかなど考えずに,数学の勉強でもしていればよろしい」という姿勢でしたので,大きな違いがありますが,僕は,恩師のもとで育ったので,研究の哲学を考えたり,テーマをどうするかを考えることが優先していました。当時と比較すると,大学院への進学者が大幅に増えたので,状況が変化していることは分かっているつもりですが,うちの院生には指導教員の思考のバックグラウンドを知っておいて欲しいのです。

 以前にも紹介しましたが,「国際デザイン史」という本の中で,僕は「レイナー・バナムと堀江悟郎」という小論を書いています。希望者には貸しますよ。
http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9974799244