学習ゼミと自主ゼミ

松原です。
 昨日の続きです。
 僕の院生時代は,指導教員から手法をおしえてもらう事はほとんどなかったと言いましたが,研究室のゼミでは,物理数学のゼミに出席したり,自主ゼミとして助手の先生方2名と「気象力学」という本の輪読をしたり,という機会がありました。具体的なことは,先輩におしえてもらうことが多かったですね。多いときは,週に7つのゼミに出席していた時期もあります。多くは自主的に作ったものです。今から思えば,よくやっていたな,と思うのですが,当時は,こんなペースではダメだ,と焦っていました。
 手法や技術の勉強も大切であることに関して,指導教員ではない先生から「アイデアだけで研究できるだけではない!」と厳しく言われたこともあります。当然ですね。スポーツでも,野球の投手が「内角に速いシュートを投げれば打たれない」と考えても,そのボールを投げるに足る下半身や肩の力,そしてトレーニングを積まなければ,ゲームで通用するはずはありません。そういう意味でも技術は当然重要です。と同時に,ストレートの速度が160kmの人は力で抑えられるかも知れませんが,最速でも120kmの程度しか投げられない人であっても,非常に遅いスローボールを身につけることによって,それなりに活躍する人もいます。研究の世界,あるいは,社会にでてどう生き抜くか,を考えると,こんなこともそれなりに意味のあることです。
 さて,現在の研究室ですが,学習ゼミは,統計などの勉強会なので,「手法・技術」を学ぶことになっていると思います。また,ゼミ説明の資料には「自主ゼミも期待します」と書いてあります。一人でどんどん勉強すればよいのですが,何人か集まると,それなりのメリットが出てくるものです。
 僕たちの時代は,研究の大きな背景・目的を語る先生に敬意を払ってきたのですが,次第に,ハウツーを教える教員を期待する学生がふえてきたようにも思います。これもジェネレーションギャップかも知れませんね。ゼミのメンバーとも意見交換をしてみたいです。


 新装した大阪駅の屋根をホームから撮影しました。左の部分が前からあるホームの屋根なのですが,先日の新聞記事によると,この屋根を撤去すると乗客に雨がかかってしまう,と書いてありました。その後どうなっているのでしょうか?