板書(続)

松原です。
 GWも最終日を迎えました。カレンダー通りの日程だったのですが,3日は感覚・知覚刊行小委員会,5日,6日はたまっている課題をこなしており,明日から平常勤務です。
 「板書」に妙にこだわっていると思われるでしょうが,これまでの20年以上の教員の経験の中では,「板書」を見直すことになるとはまったく想定していなかっただけに,この間,気になっています。数年前の「環境心理行動学」の授業で,受講生の表情をみていて,そろそろプリント中心の講義から,スライド中心に移行しようと決意したのです。写真,カラー,という言葉をイメージしたのです。しかし,ひょっとしたら、問題は色彩や写真ではなく,「動き」だったのかもしれません。あるいは,ノート取りをうながす仕組みだったのかもしれません。そういえば,前任校のある先生は,チョークのみを持って授業にいき,ひたすら数式を展開する,とお聞きしたことがあります。教科書やノートの式を書き写すのではなく,その場で計算をして式を展開するのだそうです。そういう授業に対して,学生は今も昔もアクティブに勉強する意欲が衰えていないのであれば,教員の側も考え直す価値がありそうですね。急に変更はできませんが,FD活動として,継続的に研究しようと思います。
 

 過日の地下鉄京都のホームです。通常とは異なる場所に立たれて戸惑った例です。黄色い線の内側が1m程度の場所なので,通常は,この場所ではなく,壁側に近い位置をとって,黄色い線のあたりは通路に残しておくのですが。ちなみに,手前が乗り場の印で,向こう側は点字ブロックの交差点?を示す部分です(多くの人が乗り場の印を勘違いをします)。