科学と意志決定

松原です。
 本日午前は,福坂さんとのゼミで,久しぶりに長時間,議論することができました。疲れたのか,午後の仕事はあまり進みませんでしたが。
 昨日気になった新聞記事「地震研究者が知る危険 社会変革に利用すべき」(朝日 2011/04/28)を読み返して,日頃,僕たちの研究は,自然界の法則性を解明する自然科学ではなく,建築・環境デザインと暮らしの意志決定に有益な知見をうること,と考えていることを,振り返るきっかけになったような気がします。先日の岩波書店が公開しているpdf(原発震災 「科学」1997.10)にも論文が含まれていた石橋克彦神戸大学名誉教授のインタビュー記事です。原発事故に関する言及は,雑誌「科学」の論文を読んでもらう方がよいので,ここでは,科学・学問をすることと,社会的な意志決定との関係についてのみに限定したいと思います。「science」は,狭義には自然科学をさしますので,工学・生活科学とは異なるものですが,「科学」は,人文科学・社会科学という用法もあるように,広く学問全般をさすと思われます。石橋先生の発言でもっとも興味深い点は,「社会の現状を与えられた条件として研究する」のではなく,「地震研究者だからこそ気づく危険性を示して社会の変革を提言する」発想を逆向きの発想と表現し,当時は「タブー視」されていたという点です。また「地震学が地震津波のすべてを理解しているわけではない」という言葉にも重みがあります。一般的に,結果がクリアに示される研究がすぐれていると考えがちですが,クリアな結果が正しい範囲を示すこと,および解明できていないことを正確に伝えることも研究者の責務です。石橋先生の主張は「法則性が解明しつくされていないのに,正確に予測ができている,と誤解させるのはよくない」ということなのだと思います。僕たちの研究は,環境デザインと暮らし方の意志決定に関連することなので生死にかかわることは少ないのですが,その根拠にすべき科学的知見がどの程度きちんとしたものなのか,を知ることは同じように重要です。「何でも解明しよう」という積極的な姿勢で研究することは意義のあることですが,解明できたか否か,という判断については,冷静でなければなりません。
 先日,応用数学のある研究者の方にお聞きしたのですが,多くの研究者がシミュレーションに用いている計算の精度は,それほどよくないので,すでに起きた現象を再現することはできても,将来起こるかもしれない現象がすべて正確に予測できているとは思えない,とのことです。自分の達成した研究成果の意義と限界を明らかにすることが重要なのだと思います。これは当然のことなのですが,適用範囲を越えて,研究成果を一般化してしまう誤りをおかす場合がありますので,研究室メンバーには注意を促そうと思った次第です。
 本日は,GW初日とあって,大学も閑散としていました。キャンパスに緑が多い点は気に入っています。