正解のない問いかけ(その2)

松原です。
 気がつけば,6000アクセスを超えていました。予想よりも早いです。
 さて,本日は,6/15「グライダーと飛行機」に対して,構造学研究室の中村さんのコメントがあったので,ついうれしくなって,昼間に返信をしていました(そのため,締め切り間際の仕事が,進んでいないのですが)。「どんな発言にも正解・間違いがないとより楽しい」という感想を読んで,もう一度考えてみる価値があると思いました。2010/1/30のNHK TV「追跡 AtoZ」の内容は,僕にとっても,非常に印象の強いものでしたので,その直後にゼミでも議論をしましたし,本田選手がWカップ1次予選でゴールを決めた直後,当ブログ「本田選手と言語力」(2010/06/18)でも触れました。なぜ,ドイツの小学校では,抽象画を生徒に見せて,「これが何に見えるか,理由をしめして,他の人と違うことを言いなさい」という授業をやるのでしょうか?なぜ,日本では,正解と不正解のはっきりとした問いかけが多いのでしょうか? 僕自身は,ああでもない,こうでもない,と議論をすることが好きなので,こういうことを考えるのですが,何かを提示されて,的確に論評をする能力は,重要だ,とあえて言いたいです。採用の面接でも,正解を言えるかではなく,質問の意図を的確によみとって,各自の知識と能力に応じた妥当な回答ができるか,が見られているのだと思います。「不正解」を極度に恐れて,「正解」を丸暗記することにも意味はあるでしょうが,そういう姿勢では,柔軟に物事を考える能力は育たないだろうと思います。僕自身,大学入学までは,正解らしきものを覚えることが得意でしたが,大学入学後は,そういう能力はじりじりと衰えた代わりに,いろいろな本を読んで,ああでもない,こうでもない,と議論をする能力は向上したように思います。そのことが,今日の基礎学力になっているのではないか,と思っています。
 もう一つ重要なことは,工学的なことは正解がはっきりしていると思われがちですが,意志決定の問題として考えたときには,必ずしもそうではないということです。例えば,住宅の熱損失係数(住宅の床面積あたり内外温度差1度に対して失われる熱量)であるQ値を1.5にするために,必要な断熱材の厚みやサッシの気密性能は計算によって決まります。しかし,Q値を1.5にすべきなのか,1.3にすべきなのか,はたまた2.7にすべきなのか,は,議論をして決めることです。どんな論拠が重要か,を判断して用意して,論陣をはる能力が重要なのです。
 このブログを続ける一つの理由は,現在および将来のゼミメンバーに対して,教員の考え方を伝えることなので,ここはしつこく書いておきたいと思います。僕は,おしゃべりで雄弁な院生・学生になってほしいと思っています。それを裏付ける勉強が当然必要ですが,知識を言葉にして話したり,書いたりしようとする姿勢を重視しています。ゼミの時間に,発言の機会をみつけて,一言でも多く発言する姿勢を期待しています。そのなかで培われる言語力,コミュニケーション力,論理構成力を最重視しているからです。研究の背景・目的の文章が如何に説得力のあるものになるか,です。その論理がしっかりしていれば,結果・考察・結論は,当然説得力のあるものになります。研究の方法は,あとからついてくる,と考えています。


先日,研究室で,柴田さん,吉岡さんと話題になったM製菓の工場です。板チョコそのものですね。夕刻の電車車内からの撮影なので,見苦しい点はご容赦願いします。