音読の意義

松原です。
 昨年度から,3回生の配属を早めて,卒業研究に相当する科目のうち「論文講読法II」が3回生後期から開講されています。4回生になって専攻科目実験,専攻科目演習が開講されるということになっています。とはいえ,研究室毎にゼミの密度は異なります。時間割では木曜日の2コースに論文講読法IIがあるのですが,現在,論文を音読しながら講読を進めています(可能な人は,水曜日の研究ゼミ,金曜日の学習ゼミにも出席するように伝えてあります)。昨日は,ふと思い立って,読み間違いを逐一指摘するようにしてみました。教員の立場からすると,細かい点を含めるとかなり間違いが多いことに気づいていましたが「いちいち指摘をすると嫌われるかな」と思って遠慮していたのです。本人の感想では,「そんなに間違っていないと思うのに,予想外に間違っていた」ということでした。意外に,外国人留学生の人の読み間違いが少ないのです。日本人の場合,おそらく日常的に音読をすることが少なく,文章を読む上での注意が不足しているのではないか,と思います(僕自身に対しても,そんな傾向を感じます)。明らかに意味の異なる読み間違いは少ないので,それほど重大ではない,と軽く考えているようです。見方を変えると,読み間違いをしないように注意を集中することによって,脳の活動が活発になるのではないか,と思います。黙読と音読とでは,脳の血流が異なるというデータもあるようですし,このことはおそらく間違っていないと思います。自分自身の日頃の黙読も,やや読み間違いがあるような気がしますので,『焦って早く読む』のではなく,『じっくりと正確に読む』ことを習慣づけたいと思います。

千田孝之氏の書評から(たまたま検索したページです)
http://www51.tok2.com/home/sendatakayuki/etcgenkou/syohyou39.html