「強い東北」の記憶

松原です。
 昨年の12月2日に設置したカウンターが満一年を迎えました。昨日の夜の時点で,約11480のアクセスでしたので,これが年間の通算の数となります。夏にかなり増加したのは,生気象学会の熱中症予防指針などに言及したために検索でヒットしたものでこのブログの内容を想定した検索ではなかったのだろう,と思います。なので,(14480/365=)30アクセス/日というのは,やや過大な数字で,実質は20くらいだろうと思います。
 さて,一度は,雑談として書いてみようと思っていたことがあります。僕が大学の1回生の7月に,部活で東北遠征がありました。国立七大学戦(略称「七帝」と呼ばれていた大会)が東北大学で開催され,僕は,軟式テニス部の部員として応援に同行しました。地元東北大学は,ホームチームの圧倒的な強さを見せつけて,男子団体戦優勝を果たしました。ダブルスの5ペアの点取り戦だったと思いますが,エースの本多・大内組の後衛本多選手は大柄のサウスポーで独特の風貌(短髪と眼鏡)とフォームでした(当時のルールでは,前衛・後衛が固定していたのです)。パワーあふれるテニスでした。なぜか,2番手ペアの後衛も本多選手に風貌・フォームが似ていました。エースにあこがれていたのでしょう。しかし,個人戦は,どちらかというと技巧派の松本・藤島組(東大)が決勝で本格派の本多・大内組を下して優勝しました。なぜか,今でも30年以上前のできごとと彼らの名前を覚えています(特に個人的なおつきあいをしていたわけではありませんし,記録を見たわけでもありません。最近は,前日に名刺交換した方の名前が怪しいので,その記憶の鮮明さが際立ちます)。その試合中の「レッツゴー,レッツゴー,トーホック!」「レッツゴー,レッツゴー,トーホック!」という地鳴りのような男女の声援が今でも思い出されます。ポイントを重ねるたびに,マッチポイントに近づくたびに,声援が大きくなっていきました。「憎いほど強い東北大学」の組織的な声援が,あまりにも強烈な印象でしたので,その日の夜は,大きな七夕飾りのあるアーケード街の喫茶店で,一人で,ノートにこのことを書きつけていた記憶があります(当時は,高校の時のように文武両道で頑張ろうと思っていたからですが,3回生になって部活はやめてしまいました。2回生の西日本選手権で,第2シードだった中林・前田組(中京大学)と3回戦で対戦できたことが,よい思い出です。0-5で負けましたが,前田選手は,その後,シングルスで全日本選手権のタイトルを奪取されたと聞いています)。
 研究室のこととは関係ないですし,この雑談が被災地の支援になるとも思えませんが,一度は 書き残しておきたいと思っていたことなので,ご容赦下さい。お笑い芸人の方が「東北をなめるな!」とブログに書いたと聞いた時から,どこかに引っかかっていたので。
 

 先日の今宮神社でみた虹です。