大学の講義と学生の想像力

松原です。
 僕の講義は,visual な資料は少ない方ですが,2-3年前から少しづつ増やしています。それまでは,文字と言葉,数式だけの講義が大部分だったのですが,少しづつ写真なども増やしています。その理由は,受講生の反応が低調になっていると感じるからです。高校までの教科書,参考書もほとんどがカラーで図版も多いので,モノクロのレジュメや教科書には面白さを感じにくいのだろうと思います。3年前までモノクロのレジュメ中心でまあまあ好評だった科目(あくまで自己評価ですが)がありますが,その後,急速に反応が低調化しています。修正する必要などない,という意見もありますが,退屈そうな表情が多いと,反応してしまいます。追加した図や写真がプラスになっているのか,は以下の理由で現時点では判断できません。
 3/1付けの京都新聞の文化欄に若手漫才師W氏の記事「死んだら何もできない 日々鍛錬」があります。人を笑わせること以外に彼がしたいことは「今の若者に想像力をつけて良い日本を継承」することだそうです。自分が中高生の頃にはネットや携帯電話がなかったので,想像するしかできなかったことがあり,そのことが「僕の脳みその量を広げてくれた」と述べています。また,想像力のつけるのに有効なのが本だと言っています。この認識は,教員の感覚と通じるところがあります。画像や映像を提供されることによって,想像力を駆使する必要がなくなりますし,画像や映像が示されないと興味を感じにくくなるのだろう,と思います。うちの学科は編入定員を含めると45名で,かなりの個人差もありますが,大学教員の仕事はどうあるべきか,を日々問われています。現在の学生の「快不快」の感情にあわせるのか,その感じ方自体を変化させて,能力をどんどん伸ばしましょう,と言うべきか,です。若手の漫才師が,大学教員と共通する問題意識を持っていることは,やや意外でした。
 佐和隆光氏『「秋入学」考』(2/11 京都新聞 天眼)は,日本人の米国留学が減っているのは,若者の内向き思考などではなく,学力低下である,と述べています。根拠としてあげられているのは,TOEFLの成績が,アジア30カ国中27位で,中国,インド,韓国と比較すると断然劣っていることです。現在の学生の「快不快」の感情にあわせることを見直すべきではないか,と感じる理由の一つです。


「写真の解説」
 某駅の執務室のドアに飾られていた「くまモン」です。おそらく,九州新幹線で熊本へ行ってください,という意味でしょうが,視覚・聴覚要因による総合的快適さの向上を研究している立場からは,微笑ましく感じました。5月に鯉のぼりを飾ってくれることを期待しています。このブログにも男性向きの写真が欲しいので。