研究指導とは?

松原です。
 日記風ブログが続いていたので,前回と今回は教員の所感とします。
 大学教員の仕事の大きな部分に卒業研究,修士研究,博士研究の指導ということがあります。うちの研究室では,かなり以前に卒業設計をしてもらったことがありますが,その後はすべて論文です。「卒論の書き方」と称した本もあるようですが,府大の環境デザイン学科では,4回生が高々3-4名ですから,そんなハウツー本ではなく,教員や先輩の直接指導を受ける中で,かなりのレベルの卒業研究・修士研究を仕上げています。ただ,そのプロセスにおいて,院生・学生本人の寄与の度合いは,教員・研究室のポリシーによってある程度の幅があります。僕の場合は,自分の学生時代の経験もありますし,教員としてのポリシーとして「正解は○○です。こういう方針にしなさい」という教育は好ましくない,と思っています。院生・学生がテーマや方針について何らかの発信をして,それに対してコメントする,そのコメントがよいものであれば,院生・学生が,さらに深く考えて,良い方向に向かう,ということをめざして来たつもりです。しかし,両親+祖父母,小中高の教員が,大事に大事に育ててきた院生・学生のみなさんなので,「こうするといいよ」と言えるように,少しだけ先回りして準備をしようとしています。研究の効率だけ考えれば「指示」をする方が早いはずですし,院生・学生にとっても考えるストレスが少ないというメリットがある,というわけです。とはいえ,そういう変更がよいのか,悪いのか,悩ましいです(学生の学力差,という問題もあり,指示をしないと何も進まない場合もあるからですが,府大に関しては,まだまだ,自発性を追求したいと思っています)。
 企業にせよ,役所にせよ,マニュアル通りの仕事で新商品や新政策の企画ができればよいのですが,そんなマニュアルがあれば,すべての会社の業績が順調で,赤字の会社など出ないはずです。むしろ,これまで誰も経験したことのない手順で企画・計画をすることこそが,必要な仕事だろうと思います。そのような「創造性」は大学の研究室にだけ必要なわけではありません。そんなことを「想像する」力を持った人こそが就職して役に立つ人材なわけです。そんな教員の気持ちを理解してもらえるとうれしいな,と思っています。例えば,ある方針を採用して失敗したとします(物事は,失敗と成功に二分されるほど単純ではないのですが..)。その時に「とんでもない無駄をした」と考えるのではなく,「この方針はうまくいかないことが明らかになった,この経験は貴重な財産だ」と考えて欲しいのです。時間の「無駄だ」と考えがちなのは,効率性がよくないからでしょう。しかし,昨年の大震災以後,効率性偏重を反省する声が出始めているので,教育の世界にも反映されるとよいと思います。

「写真の解説」
地下鉄「国際会館」から「国際会館」への地下通路円形ホールに展示してある「地球環境の殿堂」入りされた方々の記念のパネルです。これまでの殿堂入りした人々のお名前は下記のページ参照。
http://www.pref.kyoto.jp/tikyu/1288320295539.html