文献の収集

松原です。
 研究をする上で,関連する文献を収集して読むことが第一歩です。卒論生も,自分のテーマに関連する論文を集めてストックされていきます。僕もその時点からすると,かなりの年限を経てきましたが,資料としての整理が十分にできていませんでした。指導すべき院生・学生の数が増えてくると,それぞれのテーマに関してのバラエティに富む文献が登場してきます。さすがに,各自が入手した文献をすべて読むことは不可能ですが,ある程度は,文献そのもののコレクションが増えていきます。しばらく前に,飛田先生がそれらの紙の資料をPDF化することに取り組んでくれ,先日その成果を渡してくれました(ありがたいことです)。しばらくは活用していなかったのですが,6月のシンポジウムの準備のために,いくつかの文献を再度読む必要がでてきて,開いてみたところ,薄れていた記憶がよみがえってきました。例えば,Bell,P. : Effects of noise and heat stress on primary and subsidiary task performance, Human Factors, 20(6), 749-752, 1978, という論文を見ると表紙頁の下の方に「821028 京工大」と手書きの文字があり,1982年10月28日に京都工芸繊維大学にコピーをしに行ったことがわかります(僕の大学にはなかったのです)。現在のように電子ジャーナルが主流となって,文献を簡単に検索でき,いながらにしてpdfをダウンロードできる時代に,こんな昔話をすると,「昔は木の棒をこすり合わせて火をおこしていたんだよ」くらいに思われるでしょうね。しかし,僕にとってはこの時代が青春だったし,そのころ脳に刻み込んだ知識や情報にもとづく思考が現在でも主要なよりどころになっています。もちろん,知識はどんどん追加が必要ですから,今日の情報化におくれない努力は必要です。ただ,百万遍から松ヶ崎まで自転車で走ってコピーをして持って帰った,あるいは,紙の辞書をひいて勉強した,という身体感覚は貴重だと思っています。
 多少関連して,昨日の京都新聞「土曜評論」に柳谷晃氏の「身体感覚伴う学習,基本」という記事があります。タブレット端末の導入で学校で子供が歩き回らなくなったというが,教育効果があがったとは言えない。立ち歩かないのはしつけの問題。自分の指導教授は論文を書き写してノートを造っていたが,その後40年たって,現在の学生の実力は明らかに低下している。身体感覚を勉強の基本と考える自分は電子教材が広がることを危惧している,という主旨です。僕はこの方とほぼ同世代なのですが,今日では,情報機器を多用することは避けられないだろうと思っています。しかし,それでも,手書きで情報を書き写したり,音読したりすることの価値は大きいと確信しています。自分自身がPCやiPodTouchの利便性にずるずると引きずり込まれつつあるので,この論文を久しぶりに見たことが,戒めの気持ちを思い起こさせてくれました。

「写真の解説」
 一昨日の新入生の合宿研修の懇親会の一コマです。僕にはノンアルコールの立食パーティーは少し物足りないのですが,学生は未成年ですからしかたないです。でも,編入生は成人なので,あとでワインを一緒に飲みました。この若者達が,昔の身体感覚を使った学習を少しでも意識してくれると,面白いのではないか,と感じています。